みとろ苑 兵庫県・名庭園料亭_別館_みとろ苑 みとろ苑
みとろ苑 ●―Navigation―HOMEご宿泊館内/お部屋お食事観光案内/地図ご予約/お問合せ みとろ苑
みとろ苑 みとろ苑の由来
みとろ苑の由来・女将からのご挨拶・みとろ苑の歴史・みとろ姫について
女将からの御挨拶

イラスト

 

平素はみとろ苑をご愛顧いただきまして誠にありがとうございます。心より感謝いたし、御礼申し上げます。

日常の疲れたお体とお心を落ち着いた和風建築の建物と庭、そして季節折々の旬の素材をつかったお料理で癒してみてはいかがでしょうか。

「変わらなければいけない物」が多くあると思います。
しかし、ここみとろ苑では「変わらないで伝えたいもの」が発見できるのではないでしょうか?

お客様に「安らぎのおもてなし」を。
従業員一同皆様のお越しをお待ち申し上げております。

    

みとろ苑の歴史

 

1800年(文化)の頃、綿花栽培で豪農となった地主、大西家。
その9代目甚一平の別宅として、みとろ苑は大正7年に完成しました。

設計者は京都の茶人。この頃、経済難、気候不順が重なり、農民の生活が苦しくなっていました。その救済事業として、村人に仕事を与えるため建てられることとなったのです。当時の村人総動員により7年間の長きに渡たる歳月を要しました。材料は大阪より厳選されたものが、幾日も馬車を連ねて運ばれ、その中からさらにより良い材料だけを用いました。その時、残った材料でほかに3軒もの家が建ったということからも贅沢な素材選びがうかがい知れます。

広間は直径2m近い大木から4本しか取れないという四方柾の床柱で支えられ、また、大正ガラスとしては気泡、波打ちのない現在のガラスと見分けのつかない最良のものが使われ、釘は一本も使わずに建てられているのです。

明石の間は、かつて明石城藩主松平家の茶室を移築したもので、その細やかな作りは今では再現不可能といわれております。
また、裏庭の石は、加古川が蛇流していた頃の自然石です。

みとろ苑庭園(PDFファイルmitoroen_teien.pdf 0.99mb)

        • みとろ苑の歴史と概要
        • 庭園の構成と特徴
        • 詳細図
みとろ苑玄関


みとろ姫について

 

赤松村の砦として室町時代のはじめに建築された井口城は15世紀前半になって赤松満祐の管下に置かれた。当時の城主は井口家冶である。その時の姫が美しく心やさしいといわれた見登呂姫である。

当時、井口城に出入りしていた満祐の家来の青年が、姫のあまりの美しさに一目見て心を打たれた。そんなある年の「月見の祝」の席でやっとの思いで姫に近寄ることが出来た青年は思いを告白したが、姫に申し出を拒まれ、それに腹を立て姫を刺殺し裏山に埋めてしまった。しばらくしてその事実を知った民衆が姫の死を悼み石仏を立てて奉ったという話がある。

石仏は今も当地に残っており、少し斜め下向きにたっているのは、見登呂姫が最期まで美徳を守ったためといわれている。

この昔話を思いながら、一度石仏のまえに立ってみてはいかがですか?

 

みとろ姫





みとろ苑
みとろ苑 ライン みとろ苑
みとろ苑
名庭園料亭 みとろ苑
〒675-1214 兵庫県加古川市上荘町見土呂375-1 TEL.079(428)2323 FAX.079(428)3460 e-mail:info_en@mitoro.co.jp


みとろ苑
 

HOMEご宿泊館内/お部屋お食事観光案内/地図ご予約/お問合せ

 
みとろ苑
Copyright 2004 mitoro.co.jp. All rights recerved.
みとろ苑